セルラーIoT市場では、既存の事業者が厳しい事業環境におかれ、大規模な変革が進行中です。なかでも今年初頭の大きな動きとしては、u-blox(スイスに本社を置くIoTモジュールの企業で、精密な位置計測に強み)がセルラーIoTモジュール事業から撤退したことがありました。同社は、低マージン、大量の取引、高い価格低下圧力、QuectelやFibocomなどの中国企業との競争激化、を理由として挙げています。地政学的な緊張を背景に、西欧のIoT業界は中国に依存していたサプライチェインを多角化していますが、それでも競争環境は依然厳しいものがあります。
とはいえ、u-bloxがセルラーIoTから撤退したことで、同社の技術資産がなくなるわけではありません。同社のセルラーと、セルラー・衛星のデュアルモードの事業資産やノウハウは、それぞれ別の会社に引き継がれ、IoTのコネクティビティの発展に寄与していくことになります。Trasna(アイルランドに本社を置くIoT向けSoCやモジュールの企業)とTrident(米国カリフォルニアに本社を置くIoTモジュール企業で、Z-WaveやZigbeeのような短距離のIoT通信モジュールに強み)は、それぞれ、u-bloxのセルラーIoT事業と、セルラー・衛星のデュアルモード通信事業を、買収しました。この買収には、知的財産、従業員、事業拠点、既存の製品ポートフォリオが含まれ、Trasnaは全従業員の雇用と現在の顧客との関係を維持すると明言しています。これらの買収は3月と4月に発表され、u-bloxにとっては、自分たちの強みの中核であるGNSS(GPSなど各国が運用する衛星測位システムの総称)や短距離通信技術に集中するための事業戦略の修正となります。
カウンターポイント・リサーチ・エイチ・ケー(英文名:Counterpoint Research HK、以下カウンターポイント社)の調査によれば、世界のセルラーIoTモジュールの出荷は、2024年から2030年にかけて9%のCAGRで増加すると予想されています。今回のTrasnaとTrident買収によって、もともと動きの速い業界において、以下のようなトレンドがさらに加速しそうです。
- 競争の激化: Trasnaは、この買収によって、チップの設計やモジュールの製造から、クラウドのプラットフォームに至るまでの、エンド・ツー・エンドの能力を手にし、Quectel、Telit Cinterion、Semtech、Fibocomなどに対抗できる新興勢力となりました。また、Tridentが、セルラーと衛星のデュアルモード通信によって、地上と衛星のハイブリッドなコネクティビティの能力を強化したことで、衛星ベースのIoT事業者であるORBCOMMやIridiumにとって、新たな競争相手となりました。
- イノベーションの加速: Trasnaがu-bloxのモデムやモジュール技術と、自社の半導体やクラウドプラットフォームソリューションとを統合することで、IoT関連製品やサービスの開発が速く、効率的になります。同様に、Tridentが衛星通信に重点を置くことで、農業、海事(漁業・海運など)、資産追跡・管理などのソリューションが進化するでしょう。
- サプライチェインの移行: 地政学的な不透明さが増す中で、安全保障や信頼関係が重要になっています。Quectelが米国の1260Hリスト(米国で活動する中国軍関連企業)に加えられたことでサプライチェインの不安が増し、西欧のIoT関連企業の間で調達先を多角化する動きが加速しています。Trasnaはアイルランド、Tridentは米国に本社を置くので、西側に存在する有力な代替調達先となります。これまでアジア太平洋地域に偏っていた調達先に変化がおきるでしょう。
こうした変化によって、長期的に見れば、イノベーションやサプライチェインの分散が進むことは確かです。その一方で、短期的には、サプライチェインが制約を受けることや地政学的な緊張によって、供給問題が発生するかもしれません。メーカー各社や顧客にとっては、新しい調達先の部品やクラウドサービスに合わせ直す時間も必要になります。
Trasnaにとってのベネフィット
Trasnaがu-bloxのセルラーIoTモジュール事業を買収することで得られるものは大きいです。2023年に、u-bloxはセルラーIoT市場で3%の出荷シェアを持っていました。
- エンド・ツー・エンドでのリーダーシップ: 半導体設計、SIMやeSIMの製造、クラウドでの端末管理と、一通りの事業資産を揃えたTrasnaは、チップからクラウドソリューションに至るトータルソリューションを提供できる立場にあります。同社はIoTを利用する企業にとって、ワンストップですべてを提供することができます。U-bloxのモデム関連の知的財産を活用してイノベーションと開発効率向上を果たし、商品開発サイクルを短縮するとともに、コスト削減も可能にします。
- 市場の拡大: u-bloxが持つ世界中の流通ネットワークと、顧客との関係性とを活用して、Trasnaは、新たな地域へと、新たなバーティカル(特に、産業用途、スマートメーター、資産の管理・追跡)での事業展開ができるようになります。
- 人財の確保: u-bloxの従業員の雇用維持によって、事業の継続性とノウハウの維持が可能になるので、買収による事業継続のリスクが減ります。また、Trasnaは信頼するに足る雇用主だという評判にもつながり、将来の人材獲得にもプラスに働く可能性があります。
Tridentにとってのベネフィット
Tridentによるu-bloxのセルラー・衛星デュアルモード通信事業の買収にもいろいろなメリットがあります。
- 市場参入と成長: 今回の買収によってTridentは成長している衛星IoT市場に参入できます。この市場は2030年までに4,000万コネクションに達すると予想されています。これによって、資産の遠隔管理・追跡、農業、海事といった、セルラーのカバーが限られる現場に事業を広げることができます。
- 先端技術の獲得: u-bloxのデュアルモード技術がTridentのポートフォリオを充実させ、地上と衛星を組み合わせたハイブリッド通信の提供を可能にします。世界規模でIoTを展開する企業にとって、近年重要になっているニーズです。
- 事業戦略との整合性: Tridentは、u-bloxがもともと保有していた自動車向けや産業向けの事業をベースに、付加価値の高い産業向けアプリケーションを対象に製品を提供できるようになります。地上と衛星を組み合わせたIoTを狙う方向性と合致した動きです。
- 顧客にとっての継続性: u-bloxは買収による事業の移行をシームレスに進めることを確約しており、Tridentは顧客ベースをそのまま受け継ぐことができます。これによって、直ちに売上が上積みされ、それをさらなる拡大への投資に振り向けることができます。
結論
TrasnaはIoTのバリューチェイン上の様々なセグメントに積極的に事業を拡げています。最近のu-bloxのセルラーIoT事業の買収や、eSIMクラウドサービス能力の獲得を目的とした昨年のWorkzの買収によって、TrasnaはIoTソリューションをエンド・ツー・エンドで提供できる企業になりました。今後、もしTrasnaが、ネットワーク事業者との戦略提携やIoT MVNO事業者の買収によってコネクティビティにも参入すれば、China Mobileに似た、完全に統合されたIoTソリューション企業になることでしょう。これが実現すると、同社の地位はさらに大きく向上し、長期的な企業価値を大きく上げることになりそうです。
また、Tridentは、今回の買収によって急成長している衛星IoTセグメントに戦略的な橋頭保を築くことができました。早期に参入したことで、この市場がやがて成熟しハイブリッドコネクティビティの需要が高まるにつれ、長期的な利益をもたらすことになります。
この調査の詳細については、購読者の皆様に提供中の下記のレポートもご参照ください。
- Global Cellular IoT Module Forecast, Q4 2024
- Global Cellular IoT Module Forecast by Region, Q4 2024
- Global Cellular IoT Module Tracker by Application, Q4 2024
【調査方法について】
- 方法: カウンターポイント社ではボトムアップでのデータの積み上げと、トップダウンでの調査とを組み合わせた分析を行っている。データには、販売チャネルの情報、POSデータ、卸売業者への聞き取り調査、公開情報を含む。
- 調査対象時期:2025年。