第8回世界人工知能会議(WAIC 2025)が、7月26日から29日まで上海で開催されました。会場には、ジェフリー・ヒントン氏やヨシュア・ベンジオ氏といったAI分野の著名人を含む、40か国以上から800社以上の企業と代表団が集まりました。

3,000件を超えるイノベーションが展示されたことに加え、WAIC 2025は戦略的な転換点でもありました。「AI時代のグローバル連帯」というテーマのもと、中国はグローバルなAIガバナンス機関の設立を提案し、13項目からなる協力枠組みを発表しました。

本稿では、WAIC 2025から発せられた主要なシグナルを抽出し、それらがなぜ重要なのかを論じます。

1. より安全なAI
ノーベル賞受賞者のジェフリー・ヒントン氏が77歳にして初めて中国を訪れ、WAIC 2025で基調講演を行いました。

ヒントン氏の講演からの主なポイント
・LLM(大規模言語モデル)は人間のように考えるかもしれない。なぜなら人間もまたLLMのような存在かもしれないから

ヒントン氏は、LLMが「理解する」方法は、人間と本質的に類似していると示唆しています。
LLMも人間も、パターン補完を通じて意味を生成し、幻覚(hallucination)を起こしやすい性質があります。
これは人工的な認知と生物学的な認知の境界を曖昧にします。

・デジタル・インテリジェンスは不死であり、ハードウェアは交換可能である

デジタル形式で符号化された知能は、特定の機械に縛られません。
計算処理が継続される限り、デジタルな知性は生物的なものとは異なり、無期限に存続することができます。

・人間のアナログ的な知識伝達は、AIと比べて原始的である

ヒントン氏は、人間が言語、教育、文化を通じて知識を継承する方法を非常に非効率的であると批判しています。
これに対して、AIシステムはモデルを即座に正確に複製でき、大規模な知識の即時伝達が可能です。

・エネルギーが十分に安くなれば、AIは人間を超える

超人的な知性の実現に残る唯一のボトルネックはエネルギーコストです。
豊富で安価なエネルギーが実現すれば、AIの認知能力は人間のそれを上回る可能性があります。

・「アラインメント問題」は未解決のままである

主要な懸念は、私たちよりも賢いAIシステムが、自律的あるいは敵対的に行動するのではなく、私たちを助ける選択をするように、どのように保証するのかという点です。
ヒントン氏は、現時点では有益なアラインメントを確実にする信頼できる方法が存在しないと警告しています。

・陰鬱な比喩:人間はAI時代の“鶏”になるかもしれない

最悪のシナリオにおいて、人間は、飼いならされた動物のように、従属的あるいは装飾的な役割に追いやられるかもしれません。
この比喩は、AIの制御を失うことで人類の地位が低下するというヒントン氏の懸念を強調するものです。

 

【なぜ重要なのか】
「ディープラーニングのゴッドファーザー」として知られるヒントン氏がこのタイミングで中国との直接対話に乗り出したことは、暗黙の承認を意味しています。すなわち、AIのガバナンス、安全性、アラインメントの未来は、中国を交えずして真に議論することはできないという認識です。

このメッセージは、中国自身の外交的・制度的な動きによっても裏付けられました。特に注目すべきは、ヨーロッパ、東南アジア、アフリカの一部諸国の代表とともに署名された多国間AIガバナンス枠組みです。

従来のフォーラムでは、中国はAI開発のスピードと産業規模を強調してきましたが、今年のWAICではより洗練されたトーンが見られました。それは、オープン性、多国間対話、そしてAI安全性に関する原則への合意を重視するものでした。ヒントン氏の参加と中国の積極的な姿勢の組み合わせは、転換点を示しています。世界を代表するAI理論家と、世界で最も野心的なAIエコシステムの一つが、グローバルなAI安全協力の必要性で一致したのです。

 

2. アリババ、新たなオープンモデルとAIグラスで話題をさらう
過去の調査レポート「The Open Model Manifesto – why China is betting on Open-source AI(オープンモデル・マニフェスト ― なぜ中国はオープンソースAIに賭けるのか)」において、私たちは中国におけるオープンソースモデルの重要な継続的トレンドを取り上げました。WAIC 2025において、アリババはそのオープンソースAI戦略をさらに一歩前進させ、中国のAIエコシステム全体に衝撃を与える強力な新モデル3種を発表しました。

・Qwen3-235B-A22B-Instruct-2507:推論を必要としない高性能モデルであり、Moonshot AIのKimi K2やDeepSeek-V3といった国内の競合を上回る性能を示しています。

・Qwen3-235B-A22B-Thinking-2507:推論能力を備えた強力なモデルであり、DeepSeek R1やClaude 4を凌ぎ、OpenAIのo3やGemini 2.5 Proといったトップレベルのモデルに匹敵します。

・Qwen3-Coder:480BパラメータのMoE(Mixture of Experts)型コーディングモデルであり、高性能なエージェント型のコード生成、理解、デバッグに特化しています。

アリババはこれらのオープンモデルとあわせて、WAIC 2025において新たなAI搭載スマートグラスも発表しました。このグラスは軽量で画面を持たず、同社のQwenモデルと統合されています。

 

【なぜ重要なのか】
アリババは、国内外の競合と同等かそれ以上の性能を持つモデルをオープンソース化することにより、オープンモデル競争をプラットフォーム主導型へと再定義しようとしています。その意味は2つあります。

① 閉鎖的な海外APIへの依存を減らすことで、中国の分断された開発者エコシステム全体における導入を加速させます。
② アリババクラウドを、デプロイおよびファインチューニングにおける標準的な基盤として位置づけます。

これは、典型的なアグリゲーション理論のアプローチに則ったものであり、モデル自体は無料で提供されますが、その下流にあるサービス、データフライホイール、コンピュートパイプラインは有料です。

AIを消費者向けに展開していくという観点から見ると、これらのスマートグラスは実用的かつ目的特化型であり、配布にも適しているため、かさばるXRヘッドセットとは異なります。このため、アリババのモデルを日常的なインタラクションループに直接結びつけ、推論を習慣に変える役割を果たします。ハードウェアそのものが革命的でなくても、これは戦略的な突破口となります。クラウド上のモデルをユーザーの生活の中に取り込む縦型ユースケースであり、スペクタクルではなく実用性によって囲い込みを実現します。

チャットボットやWebポータルが主流の世界において、このグラスは継続的かつ摩擦の少ないAI活用を促す「トロイの木馬」となり得るのです。

 

3. ユニツリー、新型かつ低価格ロボットで再び脚光を浴びる
最後の注目トピックですが、決して見逃せないのが、中国のロボティクス・ユニコーン企業であるユニツリー(Unitree)が、WAIC 2025において新世代ヒューマノイドロボット「R1」を発表したことです。

このR1は汎用的なタスク向けに設計されており、動的なモーション制御、リアルタイム認識、マルチモーダルなインタラクション機能を備えています。そのため、低価格で高機能なベースライン・ヒューマノイドとして位置づけられています。使用環境は屋内(家庭、オフィス、軽物流)に特化しており、重量はわずか25kgで、非常に省エネルギーです。

ユニツリーR1は「大衆向けロボット」としてマーケティングされており、エンタープライズ顧客に限定せず、開発者、スタートアップ、大学、研究機関などを主要ターゲットとしています。その戦略は、非常に低価格な設定にも反映されており、1台あたり約5,600ドル(39,900元)から販売されています。

R1は最先端AIのフラッグシップというわけではなく、視覚、モーションプランニング、基本的なタスク実行のためのソフトウェアAPIがプラグ・アンド・プレイで利用できる、拡張性のある実用的なプラットフォームです。

 

【なぜ重要なのか】
2025年7月に開催されたテスラの「Takeover」イベントにおいて、イーロン・マスク氏は、1台あたり約3万ドルの価格で100億台のオプティマス(Optimus)を生産し、30兆ドルの収益を見込むと発表しました。以前の調査レポート「テスラのロボタクシーからヒューマノイドAIへの波及効果」にて詳述したように、テスラは独自のAI技術により、ヒューマノイドロボット分野で明確な優位性を持っています。

しかし、ユニツリーのR1は5,500ドルという価格で市場に投入されたため、テスラはより迅速かつ低価格な中国のライバルに市場シェアを奪われるリスクに直面しています。

これはまさに典型的な「破壊的イノベーション」の動きであり、「十分に良い」低価格な代替品が、大手企業(テスラなど)が完全自律性に注力する間に、これまで十分にサービスされてこなかったユーザー層を狙い撃ちしているのです。これにより、ヒューマノイドロボットは投機的なムーンショットから、開発者向けハードウェアへと変貌を遂げつつあります。スマートフォンやドローン市場の黎明期とよく似た動きです。

最も重要なのは、ヒューマノイドロボティクスの重心が、中国のハードウェア主導によるイノベーションモデル──すなわち、迅速な反復、オープンなSDK、大衆への広範なアクセス──へとシフトしている点です。仮にユニツリーがサードパーティによるアプリケーションの「群れ」を生み出すことができれば、テスラが量産体制を整える前に、ヒューマノイド分野における「iOS App Store的瞬間」が訪れる可能性があります。

 

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